パンデミックとUXインテリジェンス

今回は、以前にビービットの藤井と対談させていただいたzonari合同会社 代表執行役社長/電通総研パートナー・プロデューサーの有園雄一氏からの寄稿をお届けします(編集部)。

歴史によれば、パンデミックは格差を縮小する。 その世界で企業が生き残るには、カントと「UXインテリジェンス」が必要になる

過去の資料をいくつか調べて分かったのだが、今回の新型コロナのような疫病(パンデミック)によって、貧富の格差が縮小するようだ。これは、私自身、予想外だった。

ETV特集『緊急対談 パンデミックが変える世界〜海外の知性が語る展望〜』で、ユヴァル・ノア・ハラリ、イアン・ブレマー、ジャック・アタリにインタビューしていた。この番組の中で、アメリカの政治学者、イアン・ブレマーは、コロナの影響で、貧富の格差が拡大すると話した。

だが、歴史によれば、格差は縮小するようだ。少なくとも、スタンフォード大学の歴史家、ウォルター・シャイデルの説が正しいなら、そうなる。

歴史的危機は不平等を圧縮する

ウォルター・シャイデルは、人類の存亡に関わる危機を「戦争・革命・崩壊・疫病」の4つに大別している。その危機の嵐が去ったあと、世界に何がもたらされるのか。

「それは、確立された秩序の大々的かつ暴力的な破壊だ。記録された歴史を通じて、大量動員戦争、変革的革命、国家の破綻、疫病によって周期的に起きた不平等の圧縮は、完全に平和的手段による平等化として知られるどんな例とくらべても、常にきわめて規模が大きかった。」『暴力と不平等の人類史―戦争・革命・崩壊・疫病』ウォルター・シャイデル著

ウォルター・シャイデルは、パンデミックに瀕する今の人類に、多くの示唆を与えてくれる。原書タイトルの示唆も大きい。

『The Great Leveler: Violence and the History of Inequality from the Stone Age to the Twenty-First Century』Walter Scheidel http://a.co/88SCDlT

このタイトルの「Leveler」は、西洋史でよくみる表現だ。「レヴェラーズ」とは「平等派」という意味で、 17世紀のイギリスのピューリタン(清教徒)革命のとき、法の下での平等を唱えた急進的な政治グループのことだ。

あるいは、「貨幣はレヴェラーズだ」とマルクスは『資本論』で述べた。マルクスが言おうとしたのは、人間は、法の下だけでなく、おカネの下でも平等であるということだ。(参考文献:『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』

大量動員戦争(mass mobilization warfare)、変革的革命(transformative revolution)、国家の破綻(state failure)、そして、疫病(pandemics)の4つが、既存の秩序を破壊することで、その結果、世界には、平等化がもたらされる。

逆にいえば、法の下の平等も、貨幣の下の平等も、その他のいかなる平和的手段の平等の、どんな例とくらべても、上記の4つの「The Great Leveler」には敵わない。その破壊力は圧倒的で尋常ではない。

歴史が繰り返すなら、いまの疫病(パンデミック)の苦難の末に、「不平等の圧縮」がやってくる。換言すれば、格差が縮小するのだ。

常識的には、にわかには、信じられない。私のような素人は、パンデミックによって格差が拡大すると感覚的に思ってしまうし、イアン・ブレマーのような著名な学者の意見に煽動されてしまう。

だが、「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」(Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.)と、アインシュタインはいった。いまは、常識という偏見から自由になるときだ。なぜなら、常識外れな危機に直面しているのだから。

既存秩序の破壊が富裕層に不利に働く

では、なぜ、危機が起こると、格差が縮小するのか?

まず、「The Great Leveler」の例として過激で分かりやすいのは、革命と戦争だ。フランス革命のように旧体制(アンシャンレジーム)が崩壊し、特権階級(免税特権などをもつ)が没落する。あるいは、第二次世界大戦後の日本のように、財閥解体や農地解放によって財閥系や富裕層の既得権益が消滅する。

パンデミックの場合は、過去の例を参考にしながら、これから起こりそうなことを考えてみると、こんな感じだ。大量の死者による人口減少で労働力不足になり、労働者(貧困層)の賃金が上昇する。あるいは、救済的政策として貧困層や所得減少世帯に現金給付を行う(まさに、安倍政権の「10万円支給」のような施策)。それは後から税金で回収されるのだが、回収のとき、富裕層への所得税率が上昇する。その結果、富の再分配が加速する。

さらに、この現金給付は国債で賄う。国債は政府の借金である。政府の収入(歳入)は税金だ。税金は所得税、消費税、法人税などで構成される。とくに、所得税は富裕層の税率が貧困層よりも高い。税率が高くなりすぎると、富裕層の一部は海外に逃亡する。国内に残った人々だけでは政府の借金を支えきれないのではないか。つまり、政府の借金を支えるために懸命に働いていた富裕層がいなくなったら、誰が貧困層の現金給付を支えるのか?

ざっくり言えば、そんな不安から、なんらかの理由で市場が国債を買わなくなる。そのような懸念が形成されると、日本円からの逃避が始まる。日本政府の借金を支える人が減り、日本政府の借金(現金給付)に依存して生活する人が相対的に増えていく。すると、日本政府が借金を維持できなくなるのではないか。政府の破綻が現実になる前に、日本円から逃避しようと投資家が考える。そして、最悪の場合、ハイパーインフレーションが発生する。

そのとき、現金の価値が理論的にゼロに近づく。日本円で給料をもらっても何も買えない。現金預金も紙切れ同然になる。つまり、現金を大量に持っている人も(富裕層)、持っていない人も(貧困層)、大差がなくなる。

ハイパーインフレーションは、「確立された秩序の大々的かつ暴力的な破壊」の一例に過ぎない。私は、ウォルター・シャイデルに気づかされた。確立された秩序が破壊されたとき、誰の被害が大きいのか? この点を、私は分かっていなかった。

それは、貧困層ではない。被害が大きいのは、富裕層なのだ。貧困層も富裕層も等しく打撃をうける。だが、貧困層と富裕層の被害金額は、大きく異なる。

たとえば、資産ゼロの人は失うものがない。いや、資産ゼロの人は現金支給10万円を受け、少しプラスになる。一方で、資産10億円の人は等しく現金支給10万円を受けるが、10万円以上の税金をあとで徴収され、マイナスになる。

また、パンデミックによって急速にグローバリゼーションにもブレーキがかかっている。これも、貧困層よりも富裕層への打撃が大きい。

もともと、グローバルな経済活動の恩恵を享受していたのは、貧困層ではない。たとえば、私の両親のような年金生活者は、直接的にはグローバリゼーションの恩恵を享受していない。グローバル企業のステークホルダーがグローバリゼーションを謳歌しているのであって、彼らの中に富裕層も多い。

このように既存秩序がパンデミックで破壊された場合、経済的打撃を大きく被るのは、その既存の世界で権威や権限を持つ人たちなのだ。つまり、既得権益を持つ人々、それは、富裕層なのだ。

カントの理念が世界を再構築する

さて、では、現在の危機は、その富裕層にどのくらい打撃を与えるのか? 過去の人類の危機と比較してどうなのか?

McKinsey&Companyの記事「Beyond coronavirus: The path to the next normal」は、今回のパンデミックによって世界恐慌よりも大きな経済的損失があり得ると指摘する。アフターコロナの世界では、既存秩序が劇的に再構築される可能性が高いようだ。

McKinsey&Companyに限らず、今回の危機は世界恐慌を超えるという論調が多い。だとすれば、歴史によれば、世界秩序が改めて、再構築される。

世界恐慌と第二次世界大戦の荒廃のあとで、新しい世界秩序構築の理念になったのは、カントだった。カントは『永遠平和のために』(1795)で、国際連合の理論的根拠を論じた。国連構築の根拠は、カントの以下のような理念に求められていた。

「人間および一般にすべての理性的存在者は、目的自体として存在し、誰かの意志の任意な使用のための手段としてのみ存在するのでなく、自己自身に対する行為においても、また他のすべての理性的存在者に対する行為においても、常に同時に目的として見られねばならない」『プロレゴーメナ 人倫の形而上学の基礎づけ (中公クラシックス)』カント著

これは、一般的に、「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」と表現される。

たとえば、戦争で他国を侵略するとき、他国(他者)を単なる手段として扱った。攻撃し略奪する対象物とみなした。自国の利益や幸福(目的)のために利用する手段として他国を扱い、搾取する。他者の目的(他国の幸福)を考慮していない。それでは、世界は崩壊する。それがカントの言いたいことだ。

あるいは、ウイルスとの戦いで、他者を監視の対象にする。それは、他者を手段として使うことだ。それも、自分を目的とし、自分をウイルスから守るために。それではいけない。他者もウイルスから守ってあげる必要がある。つまり、もし、他者を監視の対象にするのであれば、それと同時に、自分も監視の対象にして、そして、その情報を相互に共有し、お互いがお互いを守ってあげられるようにする。

ここで大切なのは、「のみならず」ということだ。お互いを「手段」としながらも同時に「目的」とする。それが、相互の監視と相互の情報共有で重要なことだ。

ウイルスに国境はなく、人類を平等に扱う

ユヴァル・ノア・ハラリは、「我々の世代の最大の危機に直面している」との危機感で、先日、Financial Timesに寄稿した。

その記事は、「Yuval Noah Harari: the world after coronavirus」( 日本語訳版はこちら)だ。

ハラリは、「全体主義的監視と市民の権限強化」「国家主義的孤立とグローバルの連帯(国際協調)」を対立軸にあげ、ウイルスとの戦いで、人類が国家主義的な超監視社会に舵を切ることを懸念する。

ハラリの懸念はもっともだ。そして、大事なのは、国家主義的な超監視社会は理論的に破綻していることだ。つまり、それは、人類にとって役に立たないし、遅かれ早かれ、窮地に追い込まれる。

最近、CNNなどをみていると、「We are all inter-connected」(我々はみんな相互につながっている)という表現をよく耳にする。それぞれの国が孤立して、個別に戦ってもウイルスに勝てない。人類は、そのことに、気づき始めている。

たとえば、仮に、体温や感染の有無を常時監視するとしても、その監視は中国共産党最高指導者、習近平にも実施しないと意味がない。もちろん、アメリカのトランプ大統領も同様だ。世界の誰が感染しようとも、隔離など適切に対処しないと、世界中に拡散するのだ。

「習近平が感染した場合は例外だ。黙っておこう。だって、共産党政権の存続に関わる。だから、元気なフリしてなるべく働いてもらおう」。仮に、そうやって隠蔽したら、一緒に働く共産党の幹部や官僚がみんな感染して自滅してしまう。

権力者も独裁者も富裕層も貧困層も、関係ない。その意味でも、ウイルスは人類を平等に扱う、「The Great Leveler」である訳だ。

当然のことだが、ウイルスに国境はない。しかし、国家には国境がある。国境の内側で自国の利益を優先するのが、国家権力の目的だ。人類全体の利益を目的にした組織ではないし、その適切な判断もできない。国家はそもそも、そういう組織じゃないのだ。

ウイルスは、国家権力の限界を、みごとに、露呈して見せてくれた。

孤立して一国だけで抜け駆けしたくても、できない。自国さえ良ければいい、そんな自国第一主義が通用しない。アメリカで感染者が出たら、中国も巻き込まれる。中国で感染者が出たら、アメリカも巻き込まれる。

つまり、もし、他者を手段として監視するのであれば、それと同時に、自分も監視の対象にして、そして、それぞれの命を守ってあげることを目的にしないと解決しない。監視情報を国境を越えてお互いに共有しない限り、お互いを守ってあげることができない。

ここでキーになるのは、透明性だ。透明性とは、国家権力や官僚機構が最も苦手な領域である。なぜなら、経済がうまく回って平和が維持できて国民が政権を支持してくれれば、それさえできれば、国家権力に透明性は必須ではない。

だが、ウイルスの前では、それを乗り越える理念と組織が必要である。

だから、全体主義的国家の一方的な超監視社会は、理論的に破綻しているのだ。一時的に、感染封じ込めに成功するのは、容易に想像できる。だが、長期的に、相互信頼を醸成できないのも、容易に想像できる。

長期的な相互信頼を構築できない限り、国家権力は孤立して崩壊していく。戦前の日本もナチスドイツも、敵はウイルスではなかったが、そのような道を辿ったはずだ。

「UXインテリジェンス」とカントの共通点

コロナの世界では、おそらく、しばらく(数年から10年かもしれない)は停滞が続き、全体主義的国家の監視を好む人が幅を利かせる。しかし、事態が収束するにつれて、上述したように、理論的に破綻していることに人類は気づくことになる。

歴史は繰り返すのだ。コロナ不況が長引くほど、既存の国家権力や富裕層に不利な力が働き、カント的思想が息を吹き返すことで、新しい世界秩序が構築されていく。

そこでは、一方的に他者を監視するというよりは、お互いに「見守る(Care)」という感覚になっていく(それがカント的だと感じる)。「全体主義的監視(totalitarian surveillance)」ではなく、「ユーザ中心のケア(user-centric caring)」。

お互いが見守る、みんなが支え合っている感覚が構築され、「相互依存(interdependence)」「相互扶助(mutual aid)」の精神が要求されることになりそうだ。

この精神はビジネスにも影響する。社会の価値観が変化し、相互依存・相互扶助の重要性が再認識されれば、お金の流れが変わるからだ。

価値観が変わるとライフスタイル(生活様式)が変化する。「ニューノーマル」とは、政府が一方的に決めるものではない。社会の価値観の変化が新しい生活様式として具現化されビジネスに影響する。

たとえば、昔は、燃費の悪いガソリン車に普通に乗っていたし、それがノーマルだったので悪いことだとは思っていなかった。だが、環境意識の高まり(価値観の変化)によって、ハイブリッド車・電気自動車が登場した。少々高い値段でも、政府が補助したりして、市場は変化してきた。

社会の価値感の変化がビジネスにも影響するならば、カントの「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」という理念や相互依存・相互扶助という価値観の変化が、ビジネスにどんな変化をもたらすのか?

つまり、「We are all inter-connected」(我々はみんな相互につながっている)と感じるとき、そのニューノーマルのビジネスでは、相互につながっている相手をどう扱うのが良いのか?

私は、「データ・ドリブン経済」の欠点を克服することになると考えている。

「データ・ドリブン経済」は、GAFAのような大手IT企業による独占的で一方的なデータ利用を土台にしている。ただ、その欠点はまず、知らないところで個人のプライバシーを脅かしていることだ。そして、人間が単なるデータとして扱われ、利益の源泉と位置付けられている。個人データは、収集・蓄積・分析するべき生産手段のひとつになった。つまり、人間(のデータ)が金儲けの手段になった。

しかしながら、カントのいうように、手段としてだけでなく同時に目的として考えなければ、ユーザから拒絶されてしまう。それは、昨年の就活生のデータに絡んだ事件などであきらかになった。就活生のデータを金儲けの手段としてだけ考えて、一方的にユーザ許諾を得ることなく、クライアント企業に売ってはならないのだ。

そう考えたとき、私は、ビービットの藤井保文さんが語っている「UXインテリジェンス」という精神とケイパビリティが、すでにカントの思想を取り込んでいることに気づかされた。

これは、「コロナ不況を打破するために今後、重要になるはずだ」と直感した。

おそらく、アフターコロナの世界において、すべてのビジネスパーソンの基本的な素養になり得る。以下、電通総研のインタビューから藤井さんの言葉を引用する。

「実用的には『得られた行動データはそのままマネタイズに使おうとするとユーザーから信任が得られず、かつ成功するケースも少ない。行動データをUXに還元していつも使われる魅力的なサービスにすることで、そこからビジネス成果を生み出していく』というものです」

「行動データをそのままマネタイズに使おう」というのは、他者のデータを手段として、自社の利益に使うということ。つまり、金儲けの手段としてだけ考えている。

ユーザを金儲けの手段として考えてはならないし、そのデータも同じだ。ユーザの幸福やベネフィットのために(目的)、UXを改善するべきなのだ。

個人データを使ってまず考えるべきことは、ユーザ体験を改善し、ユーザを喜ばせることだ。ユーザとは他者なのだ。この他者と相互依存・相互扶助の関係を結んでいく。そして、ユーザ(他者)を幸福にする。その結果が、売上や利益になって循環する。

このように考えてくると、アフターコロナの世界がよい方向にいくには、世界秩序としてはカントの理念、それに並んでビジネス領域では「UXインテリジェンス」が重要になる。

相互依存・相互扶助がビジネスにおいても重視され、データを無断で勝手に自社の利益のために使うことはできなくなる。すでに、GDPRやCCPAでそういう流れが整い始めているのは周知のことだ。

カントと「UXインテリジェンス」に共通するのは、「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」という理念だと私は考える。そして、カントと「UXインテリジェンス」に光が当たるとき、そのとき人類は、新しい世界秩序で、新しい幸せを謳歌しているのではないか。